2013年。
峯岸みなみのスキャンダルで48グループが極地に立たされた。

スキャンダルも話題になれば何でも構わないというスタッフ、大人たちの勘違い。
これが良からぬ方向に進んでしまった。

思惑とは違った形になってしまった大人たちはここから後手に回る様になる。
これは秋元康も含めた上で、炎上の履き違えが進んでしまう。

その中で行われた選挙で指原が一位になった。

そこで生まれたのが指原だし何でもやってみようという流れ。
実はそれが正しかった流れと気づかないまま、秋元康を始め
良い意味でふざけ始めた。

そこに合わせてメンバーも良い意味でふざけた。

これは以前ここでも書いたように、そのふざけた姿が
フォーチュンクッキーが重なり、本当のヒット曲が生まれた。

ここで実際に指原はAKBを壊さなかったと言える。

しかしここで生まれてしまったのが周りの大人達の怠慢だった。

大人達、秋元康を含め指原に任せておけば大丈夫。
自分達は新しい事ではなく同じことを継続していけばいいと勘違いし始めた。

しかしそこで一つのズレを引きずっていた。
それが秋元康の公演曲の停滞。
そのズレが同じことを継続する流れに入り込んでしまった。
そうなると全てが後手に回ると同時に何もしない運営が生まれた。

そこで矢面に立たされたのが指原で
良いも悪いも全て指原に向けられた。

そこで運営が気付けば良かったのだが変わらなかった。
そこをチャンスと見たのが支店の大人達で色んな手法を考える。

SKE、HKTの件は書くのをやめておくが難波は変わろうとした。

しかしそこで先ほど書いた変わろうとしなかった秋元康が
ふざけたまま曲を書いた。
それは良いふざけ方ではなく悪いふざけ方だった。
そして変わらず兼任制度も広げ、そのまま野球好きの大人が
何も考えずペナントレースを始めようとした。

その後は変わらなくてもいいという怠慢さが色んな問題を起こしてしまった。
そこでも後手後手にまわり取り返しのつかないまま今になってしまった。

指原は一位になっても壊さなかったがそれにあぐらをかいた
周りの大人達が48グループを壊してしまった。

そのキッカケでもある総選挙がない坂道グループの今の躍進を見れば分かることだ。