ただ懐かしい曲ということで売れたのだったら
今年の「心のプラカード」「ラブラドール・レトリバー」も、
もっと話題になったはず。
しかし、世間一般には浸透することは出来なかった。
要は懐かしいだけでは売れない。
昔の曲をそのままでやっても、懐かしいだけで終わってしまう。
フレンチ・キスの楽曲もそこに当てはまっていて
ただ懐かしむだけで、何度も聴こうとは思わない。
それは最近のTV番組でも見れる傾向で昔の曲を
淡々と流す歌番組も多い。
しかし「恋チュン」は、その懐かしむ部分が凄く
微妙なところを突いていた。
60年代、70年代の古き良きディスコミュージック。
ディスコブーム、洋画が浸透していた日本人には馴染みのある音楽であり、
映画のワンシーンで流れてた曲に近いと思ったりする人もいたと思う。
しかし昔のままのアレンジだったら絶対にここまで売れなかった。
ここでもう一つの要因が指原莉乃だ。
まず指原が1位になったことによって、秋元康は勝負に出たと思う。
王道のアイドル曲は無理だとすぐに見切りをつけた。
それまでカップリング曲に同じようなディスコミュージックを
取り入れたりもしていたが、世間一般には出さなかった。
指原だったらそれが許されて、もし売れなかったとしても
指原だからしょうがないと笑って済ませればと思った可能性が高い。
それもあってか初公開から発売までに何度かアレンジが変わってきた。
秋元康も売らなきゃという気持ちよりも、指原がセンターだから
遊ばなきゃという気持ちが先行した気がする。
そのアレンジが変わっていく中で、指原がセンターだからという
気持ちがメンバーにも伝染していた。
特に篠田麻里子、大島優子は真っ先に感染して、初公開から
踊りの中に遊びを入れてきた。
そして、そうゆうことには敏感なこじはるが乗った。
この三人が曲中に遊び始めてから曲の印象が変わってきた。
しかもこの三人は世間一般の知名度が高いメンバー。
その三人が順位なんて関係なく、楽しそうに踊ってる曲という部分で、
元々のAKBファン以外の人が気にするようになっていた。
たぶんここが一番の要因で「楽しそう」という音楽の原点でもあった。
曲に遊びを入れたおかげで、世間的には踊りを間違っても
楽しければ良いという認識がいつの間にか出来てきて
それに感化され色んな人が踊り始めた。
それまで、間違いを許さないキッチリ揃えて踊ることが出来る
K-POPを観てきた反動もあったかもしれない。
音を楽しむ。
この原点が「恋チュン」には詰まっていた。
レコード会社も秋元康もこれに気づいて欲しい。
音楽は自由に楽しむものであって縛り付けるものではない。
投票するための音楽が楽しくなるはずがない。
順位を付けられて踊る音楽が楽しいとは思えない。
NMBが選挙に弱いと言われてるけど、ファンが楽しんでいられるのは
音楽を楽しむメンバーがいる。メンバーを見て楽しむファンがいる。
本当の楽しさを知ってるからではないだろうか?
総選挙の順位で自信を持つメンバーもいる。
それを批判する気はない。
問題はそのプレッシャーを責任と感じるか楽しむか?
それが大事なことだと思う。
楽しむ事が出来る「恋チュン」は、いくつかの要因が重なった奇跡的な曲だった。